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時代に応え挑戦を続ける、地域密着型エネルギー事業

株式会社ガスコムノムラ
取締役 会長

野村 守

(Mamoru Nomura)

受け継がれるバイタリティと先見性

富山県南西部の南砺市で約70年にわたり、地域に根差してエネルギー事業を展開しているガスコムノムラ。1954年、野村会長の祖父が創業した。当時はタクシー会社を営んでいたが、煮炊きは炭や練炭だった時代に、東京ですき焼きを食べた際、テーブルから出ているホースがコンロにつながっているのを見て、「このガスをドラム缶か何かに入れられないか?」と思いついたことが、LPガス事業参入のきっかけとなった。
同社は、20tのストレージタンクを備えた充てん所を自社で所有している。これは、野村会長の父が社長だった時代に導入したもの。大きな投資ではあったが、現在でも安定供給とコスト削減に大きく貢献している。

ガスコムノムラの充てん所にて、野村会長の父で先々代の社長(左)野村会長(右)

今回、話を聞いた野村守会長は3代目で、同業他社での経験を経て、1987年に同社に入社。業務の傍ら、富山県エルピーガス協会や「Gラインとやま(※)」で要職を務めるほか、地元の商工会や青年会議所でも積極的に活動し、業界内外で幅広い人脈を築いている。本記事の読者の中には「ガスコムノムラといえばGHPが得意」とご認識の方も多いと思うが、その立役者でもある。
現在、野村会長の長男である現社長も、新しいアイデアと取組みを精力的に進めている。伊藤忠エネクスホームライフ中部(当時)に勤務した後、家業を継いだ直後に、保安機関に任せていた保安点検を自社点検に切り替えた。その結果、顧客との接点が強化され、器具販売力が飛躍的に向上したという。
創業者のバイタリティと経営手腕は、着実に次の世代へと受け継がれている。

※「Gラインとやま」は、富山県内のガス販売事業者が設立した組織。LPガスや都市ガスの普及促進を目的として、ウェブサイトやイベント等を通じてガスの魅力を積極的に発信している。

夏場のガス需要量減の救世主となったGHP

野村会長が家業に入った1987年は、GHPが初めて発売された年でもある。いち早く注目し、普及、販売に力を注いだ。
きっかけは、LPガス販売という商売柄、夏場の需要減に頭を悩ませていたある日、伊藤忠燃料(当時)の営業担当に案内されて、GHPの納入先を訪れた時のことである。
「金沢近郊の海水浴場近くのハンバーガーショップでした。30度を超える真夏の昼間なのに、メーターがぐるぐる回っているのを見て衝撃を受けました。これが私のGHPとの出会いで、快進撃の始まり(笑)」と野村会長は振り返る。

熱心な営業活動の甲斐あって、現在もリプレースを繰り返して稼働を続ける電子機器・部品メーカーのGHP。この事例は、1990年夏号『NET WORK』にも掲載された。

1989年、青年会議所の先輩が会社を新築する際に、15馬力のGHPを納入すると、これを見た設計事務所の社長が興味を示し、3馬力のGHPの導入したのが皮切り。1990年には、電子機器・部品を扱うメーカーの新工場建設の情報を得て、すぐさま飛び込み営業を敢行。当初は「EHPで決まっている」と言われたが、粘り強く交渉を続けた結果、その日の夕方にはアイシン精機(当時)の営業マンが名古屋から駆けつけてより詳細に提案を行うこととなり、最終的には「GHPで考えてみよう」と急展開で大口の成約に至ったのだ。
1980年代後半から1990年代にかけての当時、大型商業施設の出店が急増し、街の商店街が寂しくなっていく中、野村会長は近隣の大型店舗に積極的に営業を行い、次々とGHPの成約を取り付けた。「地方バブル」に乗って夏場のガス需要減を見事に盛り返したのだ。

GHP成功のカギは「徹底したメンテナンス」

2000年代、野村会長はEHPへの切替を阻止すべく、更新需要の営業を徹底的に行った。その結果、90年代に販売したGHPの更新率は、廃業先を除けば100%を誇るまでになった。
しかし、GHP導入当初は故障やクレームに追われる日々が続き、事業から手を引くことも考えたという。転機となったのは、GHPのメンテナンスを請け負う会社の社長との出会いだった。「今あるGHPも新規で売るGHPも、すべてうちで面倒を見る!」と野村会長にそう言い、有言実行で力を尽くしてくれたのだ。
「定期的な点検をしっかりやれば、長持ちします。やはりGHPはメンテナンスがカギ。信頼できるメンテナンス会社と連携できたことで、自信を持ってGHP営業を続けられました」。

メーカーのGHP講習を受けた修了書。当時、熱心にGHPについて勉強したというが、自身いわく「本当は理系科目は大の苦手」なのだそう

ガスコムノムラの高いGHP販売実績は様々な業界誌でも取り上げられた

1989年、富山県でお寺での葬儀が一般的だった中、ガスコムノムラは県内で初めてできたセレモニーホールにGHPを設置した。
「今ではセレモニーホールの空調はGHPが定着していますが、当時の富山では先駆けでした。葬儀はいつ行われるかわからないものの、空調は必須。とはいえ長時間の運転は少ない。そうした斎場特有の空調利用サイクルを考えると、デマンドを抑えられるGHPが最も適しているんです」。
野村会長は市内のエネルギー会社で組織される協同組合の理事長も務めている。現在は、中心メンバーとして、市内の公共施設など自治体の防災計画にGHPを位置付けてもらえるよう、働きかけを行っているという。

今もこれからも小回りの利く「地域一番店」でありたい

得意のGHP以外では、付加価値の高い商材の提案営業に力を入れているという。今重点を置いているのは、空気を汚さず結露しない床暖房と温水ルームヒーター、そして、ガス衣類乾燥機『乾太くん』。

店内に飾られている歴代キャンペーンの表彰盾。「上位入賞者の常連になれたのは、販売力を強化した現社長のおかげ」と、野村会長はうれしそうに話してくれた

「LPガス業界で生き残るには、付加価値での勝負が決め手。灯油文化が根強かった中で『壊れにくい・光熱費が安い・においがない』という点をしっかりアピールし、着実にガス給湯器への切り替えを進めてきました。『乾太くん』も非常に評判が良く、オール電化の家庭でもこのためにガス容器を設置するお客さんがいるほど。お客さんとのコミュニケーションを大切にしながら商品の良さを丁寧に提案することで、自然とお客さんの間でも評判が広がり、実績につながっていったんだと思っています」。
ガス販売事業者としてのあるべき姿を問うと、「今もこれからも、地域一番店であること」と野村会長。小規模だからこそ、小回りの利く機動力を活かした地道な営業が、長年で確かな成果を生み続けているという手応えも感じているよう。「時代が変わっても、お客さんに喜ばれるサービスを追求し、地域にとって欠かせない、頼られる存在であり続けたい」と、思いを語ってくれた。


【会社概要】

株式会社ガスコムノムラ
所在地/富山県南砺市福光6750